YellowCat たろうに聞いた!!

君の胸で香箱座りをしていたあの頃、僕はただ咽を鳴らしていただけではなかった。この世界の意味を、ずっと考えていた。アスファルトの焼ける匂い、彼岸花が咲いた用水路、速度超過した黒いクラウン、僕の毛が付いたブレザー。君が知っていたものも、知らなかったものも、ずっと見てきた。そして、考えてきた。君が生きるこの世界の意味を。その答えを、ここに、示したいと思う。

積読の効用と副作用

 私の手許には、かなりの数の本が私に読まれるのを待ち続けている。30冊ほどあるだろうか。先日さらに16冊の本をAmazonでポチッた。2万円をゆうに超えたが、本への支出はキャッシュであろうがクレジットであろうがあまり躊躇を覚えない。そうして、読まれるのを待つばかりの本が次々積まれていく。私はかなりの積読者である。君は、多くの者と同じように、この私を嘲笑するだろうか。今日は君に、私のこの病的ともいえる積読癖の弁解をさせてほしい。積読は、君が思っているほど悪いことではないのだ。

 まず、読書機会の喪失を防ぐことができる。私は読みたいと感じた本はその場でレジに運ぶかポチる、もしくはメモに残して後日速やかに入手する。そうすると、「読みたかったけど結局読まなかった本」がなくなる。結局読まなかったのならその程度の欲求に過ぎなかったと君は言うが、一瞬でも自身の感性に響いた本を読まずに済ますことは、好意を示す隣人に挨拶しないことに等しい。この国の感覚で言うと、もったいない、のだ。もちろん、買ったまま読まずに済ます方が、愚かであることは十分承知している。

 次に、積読をしておくと、読書回転率が上がる。常に私は次の本を待たせている状態にある。さながら、有名なラーメン店の店長のような心持である。自然と、いかに今読んでいる本を早く消化するか、ということに意識が向く。結果として集中力が増し、隙間時間も読書に費やすようになるため読み終わるのが早くなり読書回転率が上がるのだ。当然、つまらない本にだらだらと付き合うこともなくなる。この点では、私はショーペンハウエルと気が合うのだ。

 また、積読は君の感性を甦らせる。試しに、本だけは自由に買っていいと君自身に約束してみてほしい。書店に並んでいる本はもちろん、ネットやテレビ、友人との雑談の中の気づきや上司に感じた違和感、この国を取り巻く生き辛さなど、日常の様々な事象に敏感になる。今お金も時間もないので、もう少し余裕が出た時に、と感性に蓋をしているのとは別の世界がそこにあるのだ。また、そういうことを考える輩に余裕は永遠に訪れない。常に今の自分が金欠・忙殺の基準だからだ。本を好きに買っていいと決めることは、今やりたいことを自由にしていいと、自分自身に示すことなのだ。自分を、喜ばすことができない人間が、いったい誰を幸せにできるというのだろう。

 ただ、積読には副作用が伴う。自由な精神の表現がしばしば大衆の嘲笑の的となるように。

 1点は、時折積まれた本の標高に希望を失いかけることだ。いつ、登頂しえるのか。老齢で猫を養うような感覚に陥る。積まれた本が全て読まれるのが先か、私の心臓が停まるのが先か。もっとも、私が君に養われている猫であるのだが。

 更に、積読は大衆的には良く思われていない。計画性の無さや衝動性を想起させるのかもしれない。客を家に招いた際、客は本の多さに驚くとともに読書家の知的な印象を一瞬抱くが、そこの棚はまだ読んでいないとでも言おうものなら、たちまちその印象は崩れ詐欺師を見る眼を向けられる。私などになると、本が可哀相と非難を受けた経験もある。ただ、これは避けることができる。「読んでいない本について堂々と語る方法」を読んでおけばよい。

 最後に、積読の最大の副作用として、経済的損失を挙げておく。基本的に、嗜好性の強いあまり一般的でない分野に進んでいくほど支出は増加する傾向があるが、多くの道楽者はこの道を進まざるを得なくなるところが難儀である。

 働こう。