YellowCat たろうに聞いた!!

君の胸で香箱座りをしていたあの頃、僕はただ咽を鳴らしていただけではなかった。この世界の意味を、ずっと考えていた。アスファルトの焼ける匂い、彼岸花が咲いた用水路、速度超過した黒いクラウン、僕の毛が付いたブレザー。君が知っていたものも、知らなかったものも、ずっと見てきた。そして、考えてきた。君が生きるこの世界の意味を。その答えを、ここに、示したいと思う。

人生の落ち目に瀕して

 私が患った病について、君に話しておきたい。「うつ状態適応障害」。これは、それぞれ異なる医者が私の症状につけた名称であって、当の私にとってはどちらも大きな違いはない。昨日までの君はうつで、今日から君は適応障害だと告げられても、私に巣食う脳を割るような頭痛や内臓をひっくり返す吐き気、食欲の代替品として与えられた地球の引力の何倍もの倦怠感が去ってくれるわけではない。ただ、今は違う。患った、と発したのは、それが過去の出来事となりつつあるからだ。

 こういった類の話を聞くと、不安感や閉塞感といった気分障害が思いつかれるが、私の場合は、身体的な症状の方がより深刻であった。特に、症状に名称が与えられる以前、つまり輪郭の見えない陰影に犯されつつあった時期は、身体の方が精神の意向を無視していた。それは、通勤の電車に乗れないことや、運よく身体を手懐けて車両に乗り込んでも職場がある駅で降車できない、といったところだった。結果として仕事は休職することとなり、長い一日を生暖かいベッドの上で過ごす日々を経た。

 私は確かに、人生の落ち目に瀕したのだ。

 そうなると、まず、人間関係が洗礼される。落伍した私を見て見ぬふりする者が大多数の中、小さくない神経と労力を払い、連絡をくれる者もいた。その、僅かに残された社会性が、今君に語らいかけている私を生かした。

 それから私は、建前で生きることを辞めたのだ。嫌悪に値する人物や物事は少なくない。それを世俗的な徳や綺麗ごと、正論で見栄えよく蓋をすることを辞め、直視することに決めた。嫌悪すべきものは、嫌悪すればいいのだ。私が地底より深く真夜中より暗く雪山より冷たい大陸棚を屈辱と失意を伴いゆっくりと下降していったとき、嫌悪すべきものどもは、何をしていたのだろうか。何を考えていただろうか。断言しよう。私のことではない、と。同様に私も、私にとって重要であるものを尊重することにした。それは海底に埋もれた私に訪れた光をもった深海魚たちであり、未だ運動を続けていた私の中核に住む私の本心である。

 私に命令を下す権利を持つ者は、私の本心だけである。私が服従する義務があるのも、私の本心だけである。

 君の負うものは、君が選んだものだろうか。悪意のある者や、過剰な善意のある者の荷物が混ざってはいないか。君もまた、君の本心の僕たるべきだ。