YellowCat たろうに聞いた!!

君の胸で香箱座りをしていたあの頃、僕はただ咽を鳴らしていただけではなかった。この世界の意味を、ずっと考えていた。アスファルトの焼ける匂い、彼岸花が咲いた用水路、速度超過した黒いクラウン、僕の毛が付いたブレザー。君が知っていたものも、知らなかったものも、ずっと見てきた。そして、考えてきた。君が生きるこの世界の意味を。その答えを、ここに、示したいと思う。

努力することはもうやめた。

 努力をすることは、もうやめにした。その果てに幸福はない。

今日に至るまで、私は人並みか、もしくはそれ以上努力をしてきた自負がある。隣人よりも努力して、成果を出して、誰か、見えない誰かに承認を得たかったのだ。あるいは、成果がそこになかったとしても努力を続ける真摯な姿勢を肯定されることを欲していたのかもしれない。若しくは、私が承認を求めていたのは、見えない誰かなどではなく私そのものだったのかもしれない。私は、生きていることの免罪符を努力することによって得ようとしていたのだ!

それは、なんと愚かだっただろうか。努力には、常に報酬を求めるという悪徳がついてまわる。それは双子のように同時に生まれ、切っても切り離せない星座のような繋がりで暗黒の夜空にまやかしの光を放つ。その光に目を潰された者は、あるいは金銭を貪り、あるいは世間的な栄誉に縋りつく。もしくは、私がそうだったように、隣人より抜きん出ること、そして承認を勝ち取ることかもしれない。いずれにしろ、それは不幸そのものである。まやかしの光が見せる幻は、虚構に過ぎない。雪山に降り注ぐ氷の結晶のようにある時は手で掴むことができるがまたある時は掴むと同時に消える。努力が放つまやかしの光は常に我々の心を満たすことはないのだ。

道を誤まる者は、まやかしの光に騙されることでさらに盲目になっていく。つまり、努力を増やす行動に出る。その果てには、失明しかない。心身の崩壊が待っている。

今の世で生を保つには、努力は必需品であるし、奨励されているではないか、という声が聞こえる。それは、聖教者と同じ声をしている。我々を、幸せから遠ざけるのを喜ぶ声だ。努力というまやかしの光を放つ愚行は、生を保つためにあるのではない。幸福であるためにあるのだ。我々が、この努力という劇薬を用いて、幸福を生み出すためにあるのだ。決して服用する量を誤まってはいけない。幸福には、ほんの砂粒ほどの努力があれば十分すぎるのだ。君が今、吐気を我慢しなければならないほどに努力を強いられているのならば、それは不健全だ。一度努力という光から目を逸らし、君の本心に耳を傾けて欲しい。