YellowCat たろうに聞いた!!

君の胸で香箱座りをしていたあの頃、僕はただ咽を鳴らしていただけではなかった。この世界の意味を、ずっと考えていた。アスファルトの焼ける匂い、彼岸花が咲いた用水路、速度超過した黒いクラウン、僕の毛が付いたブレザー。君が知っていたものも、知らなかったものも、ずっと見てきた。そして、考えてきた。君が生きるこの世界の意味を。その答えを、ここに、示したいと思う。

なぜ私の書く履歴書は、つまらないのか?

 世は好景気だそうだ。転職市場も活況と聞く。それなのになぜ、私は延々と書類審査を通過できずにいるのだろうか。やはり、多くの労働者の実感どおり、さして景気は良くなってはいないのではないか。私たちは、空前の好景気だと、そう思わされているだけなのかもしれない。

 世論の脆さを指摘したところで、私の書く履歴書が劣っている事実は認めなければならない。これは、紛れも無い客観的事実だ。書類審査を一度も通過していないのは、誰が見ても真実だ。何が、劣っているのだろうか。私の新卒の頃の履歴書と比してみた。

 つまらない。読み物として、二流以下である。そこに、戦略がないのだ。読み手を無視している。優れた読み物とは、えてして、読み手にどういった感情を想起させたいのか意図し、そのために随所まで工夫が及んだものである。新卒の履歴書の場合、学歴や資格といった基本的な情報を読み手に正しく伝達することが最低限の目的である。これは、嘘さえ書かなければいいのだ。事実以上のところは、漠然と書かれた志望理由から読み手が勝手に想像してくれるだろう(そして、その想像と現実の答え合わせが採用する側にとっての面接の意義なのだ)。中途の場合、そこに具体的な経験が求められる。どういう成果を出してきたのか、明確に伝えられる履歴書でないといけない。営業や販売といった汎用性のある経験がない私の場合、普通に書いただけでは読み物として機能しないのだ。

 そこで、戦略が必要になる。読み手に、この人は未経験だが見込みがある、と思わせる戦略である。まずは、相手を知ること。相手は何を求めているのか分析する。的が見えていないと、それを射抜くことはできない。同時に、自分を正確に理解していること。自分を知らない乃至誤った理解のまま選考に挑んでも、自分をどう見せれば効果的かわからず成果も反省もない実りの乏しい結果を招くだろう。

 敵を知り、己を知る。そう、孫子の真髄である。

 これは、戦なのだ。